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医学と工学の融合を目指して、2001年に創設された東京女子医科大学 先端生命医科学研究所 先端工学外科学分野(FATS;Faculty of Advanced Techno-Surgery)。産官学連携を通じて、次世代の医療を支える技術の創出に取り組んでいる研究機関です。
ブレインパッドは、FATSのさまざまな研究テーマの中から、手術の効率化のためのAI活用についてFATSの関係者各位とディスカッションを重ねました。その中から見えてきたことについて、ブレインパッドの主要メンバーがFATSの北原先生と吉光先生と一緒に振り返りをしました。
株式会社ブレインパッド・DOORS編集部(以下、DOORS) まず簡単に自己紹介をお願いいたします。
東京女子医科大学・北原秀治氏(以下、北原氏) 基礎医学、解剖学および病理学を専門に研究をしてきました。その後、医療システムの社会実装という観点で、政治や経済を学んでいく中で、さまざまな分野との連携が必要だと感じ、実際に進めてきました。
東京女子医科大学・吉光喜太郎氏(以下、吉光氏) 北原先生と同じ教室に所属しています。理工学部を卒業し、その後ポスドクで東京女子医科大学に就職しました。専門は機械工学とデジタル手術支援で、医学部で働く工学者という立ち位置で研究しています。
私の強みは、大学のキャリアだけでなく、企業でも医療関連の事業に携わってきたことです。このふたつのキャリアを活かして、現在の研究でも実践的なアプローチができていると思います。
株式会社ブレインパッド・鵜飼武志(以下、鵜飼) BtoBのお客様を主に担当しているエンタープライズユニットを、執行役員という立場で統括しています。AIの社会実装・業務実装に強い関心があり、ヘルスケア領域でも注力して模索しています。また、技術発展に向けた産学連携も推進しており、今回も貴重な機会として捉えております。
株式会社ブレインパッド・千葉紀之(以下、千葉) 今回のディスカッションでは、画像系の技術の知見が必要であったこと、そして私の専門が画像解析であったことから、アドバイザーおよびレビュアーとして参加しました。また、他の医療系の大学との共同研究にもかかわっており、その知見も活かすことができました。
株式会社ブレインパッド・市川祐衣(以下、市川) データサイエンティストとして参加しました。大学院時代に医療政策を研究していたので、医療分野には強い関心がありました。今回のテーマはデータ分析の技術的な話にとどまらず、医師の働き方改革などの社会課題も背景にあり、大変興味深かったです。先生方とのディスカッションは新しい学びも多く、楽しく取り組ませていただきました。
株式会社ブレインパッド・門田未咲(以下、門田) 入社以来、ヘルスケア分野のサービス開発に従事しています。先生方の想いやアイデアを形にしていく過程にやりがいを感じ、楽しく参加させていただきました。企業同士の関わりとはまた異なる視点に触れることで、新しい知見を数多く学べたと感謝しています。
DOORS さっそくですが、医療分野でAI活用が注目されている中、どのような課題があるのでしょうか。
北原氏 医療分野におけるAI活用の課題として、まず責任問題や倫理的課題が挙げられます。かつては、AIを活用した医療研究を進めようとしても、万が一医療事故が発生した際に「誰が責任を負うのか」という議論に明確な結論が出ず、導入に慎重な姿勢を取らざるを得なかった事例もありました。現在では、AI技術がさまざまな分野で急速に普及し、医療分野においてもAIを診断や治療の補助に活用することが前提となりつつあります。
しかし、医療という分野の特性上、依然として「失敗が許されない」という状況に変わりはありません。たとえば、AIが診断支援を行った結果、誤診が発生した場合にその責任を誰が負うのかについては、法制度も含め、なお検討・整備が必要な段階にあります。
DOORS センシティブな個人情報も、多数扱っていますよね。
吉光氏 個人情報の管理についても、難しい問題がかなりあります。例えば、ガイドラインには、個人が特定されない医療情報においては、倫理委員会の承認を得なくても使っていいという項目があります。
しかし、「個人が特定されない」と言っても、臓器などの画像を見れば、誰のものかはわかるのですね。したがって、どこまでを良しとするかは、患者さんにもよりますし、病院の方針にもよると思います。かなり微妙な問題で、医療関係者でもそれ以外のデータ利用者でも意見が分かれます。
DOORS 今回、東京女子医科大学様とプレインパッドがディスカッションすることとなった経緯を教えてください。
北原氏 私の知人が、「ブレインパッドに転職したのだが、ぜひ紹介したい」とのことで、引き合わせてくれたのです。
鵜飼 弊社の人事部に所属している人です。「ヘルスケア分野でのAI/データ活用を推進するにあたって、産学連携も模索していきたい」という話をしたところ、「コラボレーションしたら、新しい価値が生まれるのではないか」ということで、紹介してくれました。
DOORS 最初にどのようなお話をされたのでしょうか。
鵜飼 まず先生方の研究内容を、手術室やロボットを見せてもらいながら、教えていただきました。ムーンショット型研究開発事業(政府が主導している日本発の革新的なイノベーション創出を推進する事業)関連の研究についても伺いました。
今後進めていきたいテーマとして、医療従事者の働き方改革という文脈での手術の効率化や、ロボットアームの活用の余地についてもお話しいただきました。我々は画像解析のプロとして入りましたので、画像解析として着手すべきことの検討に参加させてもらいました。
北原氏 最近は医療データを扱いたいという企業が増えています。私たちもデータ活用に取り組みたい気持ちはあるのですが、専門性を持っていませんし、どういう人たちと組めばいいのか判断するのが難しい。
持論ですが、一番良いのは、医療に詳しくない人たちとコラボレーションすることだと思うのです。医療に専門性のある会社とは、どうしてもビジネスライクな関係になりがちです。
ブレインパッドと初めて会ったときに、医療分野専門の企業ではないけれど医療の未来に貢献したいという「想い」を感じました。そのような「想い」を持つ企業とコラボすることでイノベーションが生まれるのではと思ったのです。
医療の関係者同士だと視野が同じになりがちです。一般の診療科であれば、同じ視点同士のほうがやりやすい面もありますが、我々は異分野連携を推進しているので、違う分野の人たちと組むのがもともと好きなのです。
DOORS 北原先生が所属するFATS(先端工学外科分野、「ファッツ」と読む)について教えてください。
北原氏 ”Faculty of Advanced Techno-Surgery”の略で、「先端工学×外科」という意味合いです。手術機械や診断装置などのDX推進が柱でしたが、今は「働き方改革」が加わってきて、さらに先端工学技術が求められるようになり、そこにAIも関わってきたという背景があります。大学の中でも少しずつメジャーになりつつあります。
吉光氏 2001年にできたので、もう25周年になります。デジタル手術室の構築を軸として、そこで使われるハードウェアとソフトウェアの研究に一貫して取り組んできました。基本的には、コンピューターを使っていれば、たいていのことは対象になります。
2001年にできたのは「インテリジェント手術室」で、手術室の中にMRIを入れた部屋を作りました。2019年に「スマート治療室」として、さらに進化した施設を構築しました。
使われる機械のうちのひとつとしてロボットも開発してきました。
私は企業時代に業務効率化を担当していたのですが、手術室の中の人の流れを把握したら面白いのではないかと思っていたのです。大学に戻ってすぐ研究費を申請したところ、採択されたので、手術室の中で人の動きを取得するシステムを作り始めました。
イメージとしては、カラオケの採点システムのように、「今日の手術お疲れさまでした。あなたのスコアは82点です!」といったものができたら面白いなと考えています。というのは、今の医療現場では手術直後の振り返りをやらないのですよ。後日、チームで振り返ることもまずありません。それで、手術直後に評価することが大事だと考えたのです。
ただ、スコア化するにはどうすればいいかというところでモヤモヤしていました。そんなときに、北原先生から「データサイエンティストが来ますよ」という話があったので、悩みを相談したところ、先生からも「やりたい」という返事がありました。
DOORS 門田さんは、FATSを見学して記事を書いていますよね。
【参考】
医療DXの現場を学ぶ~東京女子医科大学 先端生命医科学研究所FATS見学レポート
門田 はい。まず、従来の手術室のイメージとはまったく違うと感じました。大画面にさまざまなデータが表示されていて、とても新鮮で興味深かったです。
手術をしている先生方も、手術室外で見守る方々も、データを見ながら業務ができるのが印象的でした。若手医師が勉強のために見ることもできます。
緊急性が求められる医療現場において、非常に重要な取り組みではないでしょうか。
吉光氏 手術の「見える化」は、これまでほとんど取り組まれてこなかったのです。状況を把握しているのは、執刀医とその上級者、および周囲にいるごく限られたスタッフだけでした。
他のスタッフは状況を把握し切れていないので、突然指示をされても混乱してしまう。しかし見える化されていれば、前もっていろいろ準備しておくことができるようになります。現場が回って、生産性も上がります。
北原氏 今から20年ほど前までは、手術中の状況は執刀医にしか把握できないことが多く、周囲の助手たちにも詳細が見えていないというのが実情でした。手術部位に開けられた小さな穴を全員で覗き込もうとしても、当然ながら限界があり、手術の全体像を共有することは困難でした。その後、手術にカメラが導入され始めたことで、術野の映像をさまざまな角度から可視化できるようになり、手術室の中の状況を複数の関係者が同時に把握できるようになってきました。
この可視化の進展は、単に技術的な進歩にとどまらず、働き方改革や医療の質の向上にもつながる大きな変化でした。かつては閉ざされた手術室の中だけで交わされていた情報が、今では記録・共有され、必要に応じて外部にも開示されるようになっています。これは、過去20年の間に医療現場に起きた極めて重要な変革のひとつです。
DOORS ディスカッションの具体的な内容について教えてください。
市川 手術室の中に設置されたカメラ映像をもとに、医療従事者がどう動いているのかを把握し、そこから効率化の余地がある動きを機械学習で抽出できないか議論しました。
DOORS 映像はどのようにして撮影するのですか。
市川 手術室の天井に設置したカメラで撮影します。本番では、実際の手術を撮影することになりますが、ディスカッションにおいては、実験的に私たちが動いている様子を録画して、解析を行いました。
千葉 人の動きを追いかけて、どういう無駄な行動があるかを見つけるのがポイントです。
DOORS 基本的には動画だけを使うのですか。
千葉 現時点では動画だけですが、音声にまで広げることも、もちろん可能です。それ以外のデータも使えるとは思いますが、ディスカッションの段階では、動画だけ扱いました。
北原氏 手術が1秒でも早く終われば、その分患者さんの身体への負担が小さくなります。「無駄」という言葉が出ましたが、「無駄を無くす」というより、「患者さんの負担を減らす」ことを目指しているほうが正確かもしれません。
DOORS 工場での作業効率化に近いイメージですか。
千葉 技術的には近いと思います。
北原氏 医療の現場にいると、「工場の効率化に近い」という発想がなかなか出てこないのですよ。これが違う業界の方々とコラボレーションする良さだと思います。
吉光氏 あたりまえだと思ってやっていることを、「それはなぜそうやるのですか? このほうが自然じゃないですか?」と他の業界の方から言われて、「え、そうなんだ!」と気づかされることが多いのです。
私は工学系の人間ですが、データサイエンスや画像解析の分野にはあまり詳しくありません。週1回30分程度のディスカッションの中で、さまざまな技術を駆使した解析の仕方を見せてもらって、大変勉強になりました。
市川 手術室ではみなさん同じような服装で、マスクもしていて区別が付きにくいという点も、技術的には難しいところでした。どんな技術を使えば正確に追跡できるのか、そもそも追跡しなくてもいいような課題設定が可能か――そういった観点で試行錯誤しました。
千葉 手術の効率化を目指すうえでは、技術的には大きくふたつの課題がありました。ひとつは、人を追跡する技術について。もうひとつは、追跡したうえで、どういう行動が良い行動なのか認識すること。このふたつ、すなわち追跡と行動認識を技術的に分けて考えて、検証しました。
門田 医療従事者に新たな負担を掛けないことも重要視しました。例えば、手術室に入る前に医療従事者にタグを身に着けてもらい、それによって位置情報を測定して動線を把握するという案も初期にありましたが、医療従事者の手間が増えてしまいます。そこで撮影した動画のみから人物を特定するやり方にしようと決めました。
DOORS 特定の個人の動きを細かく追う方法と、抽象化して全体の動きを把握する方法が考えられる、ということでしょうか。
市川 現時点では、そうです。
DOORS そのうえで手術にとって有効な動きと、そうでない動きを区別する必要がありますよね。
市川 はい。そもそも機械学習でモデルを作成する前に、「効率化の余地がある動き」とは何かを人間が定義しなければいけません。
そのため、技術的な解析と並行して、コンサルティング的な側面として、そもそもどのような動きを抽出・記録・フィードバックすれば、医療従事者が自己改善につなげられるかも議論したのですが、こちらも一筋縄ではいかない点でした。
手術の映像を見たり、実際に見学したりしたときに、「こういう動きはもう少し効率化できるかも」、「この動きは時間短縮につながる動きかもしれない」という気づきはありました。
しかし医療というのは生きた人間を相手にするので、何が起きるかわからないのです。ですから、「これは無駄」と一般化して断定するのは非常に難しい。結果論ではいくらでも言えるのですが、リアルタイムに評価するのはもっと難しい。今後も引き続き考えていくべき、大きなテーマです。
アンケートも採らせていただきました。フィードバックを受けること自体には前向きな意見が大半でしたが、どんなフィードバックが欲しいかは「これまで考えたこともなかったので、よくわかりません」といった意見もありました。どういうフィードバックが医療従事者のためになるのかについても、もう少し精査していきたいと思っています。
北原氏 とはいえ、極めて将来性のある取り組みだと思っています。先ほども言いましたように、1秒でも早く手術が終われば、患者さんの負担減だけでなく、病院の経営改善にもつながるからです。
手術には当然人件費が掛かります。そのコストを誰がどう負担するかについてもさまざまな課題があります。今後経営が苦しくなる病院も増えてくると予想される中で、コストという観点がますます重要になってくるでしょう。
DOORS ほかにも印象的だったことや、新たな発見はありましたか。
市川 今の話と関連しますが、私たちの思っている以上に、「手術中には何が起きるかわからない」ことが大きなポイントだとわかりました。「効率化」とはどういうことなのかが、ディスカッションする前よりずっと難しく感じるようになりました。
ほかには、今回はカテーテル手術を取り上げたのですが、まずは「カテーテル手術とは何か」というところからチームで学びました。カテーテル手術は、手術スタッフがあまり動かない手術です。術式によって、動きが全然違うのですね。術式を横断した機能開発が可能なのかなど、ここでもディスカッション前には想像していなかった課題設定の難しさを感じました。
北原氏 医療において、「ハンバーガーショップのようなマニュアル化をどこまで推し進めたらいいのか」を考える挑戦だと思うのです。すべての「無駄」を省いて、世界中のどこでも誰でも同じことができる仕組みを構築すべきなのか。それとも、人情や感情、共感といった人間らしさを残していくのか――今、その岐路に立たされていると感じます。
AIが入ってきても、日本では皆保険制度の中でできることが決まっています。診療報酬の問題もあり、設備投資の資金もない。医療費が50兆円を超える中で、何をどうすればいいのか。働き方改革をしながら患者さんの安全を担保しつつ、どれだけ医療費を下げられるかというところに結局たどり着くのです。
その先で、どこまでマニュアル化するのか、できるのかという議論が起きてくればいいのですが、これは政治の場ではなかなか議論しづらい問題なのです。医療費の削減や医療行為の改善という話は、良い面ももちろんありますが、反発も起きやすい話なのですね。
しかしながら、日本では医療費が破綻寸前のところまで来ています。誰かが取り組まなければなりません。まずアカデミアと企業が取り組みを始めて成功事例を出し続けることで、ようやく政府や政治家が取りあげてくれる。ボトムアップの変化を起こすしかなく、トップダウンでは難しい領域だと思います。
市川 生成AIで動画をどれだけ理解できるのだろうという議論もありました。生成AIに動画を理解させる際、例えばスロー再生にするなど、ちょっとした工夫を加えるだけで、特定の個人の動きがかなり細かく捉えられるようになってきたのです。しかも、自然言語で出力することもできます。
生成AIだけで実現できるわけではないと思いますが、人間に伝えるフィードバックを作成する段階では活用できると感じました。
吉光氏 これは目からうろこでした。言語化がないと、単純な解析だけで終わってしまいます。生成AIの自然言語処理は、ある行動に対して「Aさんが、棚にものを取りに行った」という意味を理解して、言語で出力してくれるわけです。驚きがありました。
千葉 もともとは動画系のAI技術だけで何とか処理できないかと思っていたのですが、動画解析の場合は、「今どういう行動をしたのか」というラベルを付けた大量のデータを使って学習しないといけません。
できないことはないと思うのですが、クイックにやるにはどうしたらいいかという課題が出てきて、ちょっと試してみるかと生成AIを使ってみたのです。気軽に試せるのが生成AIの良いところですね。
精度に関してはまだまだ高める必要はありますが、目的次第で検討すべき技術のひとつです。吉光さんが「目からうろこ」とおっしゃいましたが同感です。新しい技術をどんどん取り入れていくことで、スピード感も上がっていくと感じます。
鵜飼 最近の事例で、首にかけるカメラとマイクを作業者に装着してもらい、作業終了後にマニュアルや日報が自動生成するシステムを発表しました。今後の人材不足に対処するために、「どんな作業を、どうやって、何秒でやったか」を言語化・構造化することで、工数を削減し、属人化を防止する狙いです。
【参考】
ブレインパッド、Fairy Devices、BrainPad AAAがマルチモーダルAI分野において業務提携
動画解析の技術が進歩してきた中で、技術とビジネスをつなぐ私たちのような立場では、どこにどう適用するかという視点がとても重要になります。このような取り組みを今後もいろいろとご紹介できたら嬉しく思います。
千葉 「技術の使い分け」が非常に重要だと感じました。精度を突き詰めることもできると思うのですが、70点〜80点でよければ、生成AIで十分という判断もあり得ます。これは今回のディスカッションで得た、大きな気づきですね。
市川 今回は、治療に直結する取り組みではないので、100%の精度でなくてかまわないという前提がありました。だからこそ、生成AIで気軽にやってみようという選択肢も出てきたわけです。
DOORS これは、かなりのブレイクスルーだったのですか。
市川 医療現場で実際に使えるレベルに至るにはまだ超えなければならないハードルがあります。しかし、ビジョンは見えてきました。
鵜飼 自画自賛になりますが、ブレインパッドの社員のいいところは、「できます」とすぐに言わないところだと思うのです。
吉光氏 それに比べると、アカデミアの人たちはすぐに「できる」と言いがちだと思うのですが、どうでしょう。
鵜飼 アカデミアの方々も断言は避けて、「できる可能性はある」という言い方をされていると思います。ただ、あくまで私の印象ですが、ブレインパッドのデータサイエンティストは格別「できる」と軽々しく言わないですね。
北原氏 ドキュメントに、ものすごい量の注釈が書いてある。
鵜飼 そうですね。しかし、リスクについて明言してくれるパートナーを見つけることが肝心だと思うのです。「AIで何でもできる」という風潮がある中、リスクに誠実に向き合える人を見つけることが、アカデミアでもビジネスでも共通して大切ではないでしょうか。
DOORS 冒頭に、「責任問題および倫理問題が最初に挙げられる課題だ」というお話がありました。だからこそ、生成AI活用も慎重であるべきということですよね。
北原氏 今後、診断や治療にAIが使われていくようになるとは思いますが、今はなし崩し的に進んでいる感もあります。しかし、いつか責任問題や倫理問題が一斉に出てくるタイミングがあるかもしれません。
私たちは患者さんとともに取り組む「患者・市民参画(PPI)研究」を実践しています。研究費を申請する際に、「責任は誰にあるのか?」、「どこまでが個人情報なのか?」、「どこまで開示していいのか?」などを明示してほしいと言われます。
医療の中だけではわからないことなので、医療以外の分野で情報・データを扱っている企業の方々とディスカッションして結論を出してほしいと言われているのです。まだまだこれからですが、難しいことが多いと感じています。
DOORS すでにいくつか答えをいただいているかもしれませんが、今後、大学と企業が連携していく中で、どういう進め方が理想的とお考えですか。
北原氏 例えば、製薬・創薬の分野では、製薬会社が大学にきて、研究費をある程度負担しつつ共同で研究するというやり方がずっとスタンダードでした。しかし今は、大学も働き方改革の流れの中で、自由に動ける時間が短くなってきています。一方でフレキシブルな動き方もできるようになってきました。
だから、どういう形にするかはまだまだ難しい面もあるのですが、逆のパターンもあるのかなと個人的には思っています。例えば、私がブレインパッドに兼業で週に2回だけ行って、共同で何かするとか。そういう連携の形も、少しずつ道が開けてきたと思います。まさに産学連携です。
昔は大学の研究者が企業に行くなんてあり得ませんでした。それが、もう少し自由にできるようになれば、より良い連携が可能になると思うのです。
DOORS 吉光先生はいかがでしょうか。
吉光氏 ビジネスは営利目的が柱です。つまり商材として価値のあるものを開発して、それを売れる状態に早く持っていく。そこに一緒に絡めるかどうかが重要です。
だから、製品開発に極めて近い研究テーマが、自然と多くなります。企業と関わるのは好きなので、「こういう技術があります」、「こういうことができます」とどんどん出してくれる企業とは、テンポよく連携できるかと思います。
生成AIに関しても、新しい切り口が見えてきたので、この続きをやりたいと強く思っています。
DOORS 今の吉光先生のお話とも通じると思うのですが、医療領域におけるAI導入を社会実装まで持っていくためには、どんな条件が必要でしょうか。
吉光氏 「東大に合格した人のChatGPTのすごくうまい使い方」という記事を読んで、非常に感心しました。まず自分の弱点をGPTに指摘してもらう。そして問題を出してもらって、わからなかったらヒントをもらう。それでもわからなかったら、さらにヒントを出してもらう。そうすれば、家庭教師を雇ったり、塾に行ったりしなくても、何とかして自力で解答に迫っていく方法を身につけられるというのです。
一方で、今の現場のAIは、カメラで写したらアラートが鳴って、「ここが怪しい」という「正解」を教えてくれることを目指しています。それに判断を委ねる使い方を優先し始めたら、現場の知恵が崩壊し、新しい技術が生まれなくなる気がするのです。
北原氏 もう少し人間的なところで考えると、社会実装には「突破していくパワー」が必要だと考えています。そのパワーが医療従事者にはあまりない。次々とアイデアを出して、研究まではできるのですが、そこで終わってしまうことが多い。
だから、実装までやり切るパワーを持った人たちと、いかにマッチングできるかが大事だと思います。医療研究者は多忙を極めています。講義もあるし、診療もあるし、研究もある。その中で、ビジネスとして何かをやり抜こうと決心するのはなかなか難しいのです。これは人間的な話ですが、大きな課題です。
DOORS 企業だけではなくて、例えば政治家や官僚たちを巻き込んで社会実装していくコーディネーターが必要というイメージでしょうか。
北原氏 そこが難しいところですよね。昔ながらのトップダウンで力強く牽引してくれる人がいればいいのか、今おっしゃったようなコーディネーターがいたほうがいいのか、URA(University Research Administrator)が支援するのがいいのか――国もいろいろと考えていると思うのですが、まだ模索中だと感じます。
DOORS 今後医科大学などのアカデミアと連携して、ビジネス価値を生み出していきたいという企業へのメッセージをお願いします。
北原氏 医療分野はデータの宝庫です。使われていないデータが山ほどあります。例えば、保険制度で蓄積されたデータさえ、あまり活用されていません。医療の現場で働く人間には、使い方がよくわからないのです。
だからこそ、さまざまな分野の人が入ってきて、そのデータを見て使い方を提案してくれることが必要なのです。
ひとつ提案するとしたら、大学院に入学するのはいかがでしょうか。そうすれば、データをかなり自由に使えます。内科などの診療科に入るのは無理でも、私たちのような特殊な部門であれば、企業の人たちも入りやすいかと思います。
病院や医療のデータを自由に使って、DXにつながることを探してもらえれば大きなビジネスチャンスにつながると思います。
DOORS 医療分野のAI活用に関してはまだまだ道半ばで、さまざまな課題があることが今日のお話ではっきりしたと思います。そのような中で、今後の取り組みへの意気込みを聞かせてください。
吉光氏 私たちの研究は、やはり患者さんを救えなければ意味がないし、そのためには研究成果を医療従事者に使ってもらわなければ意味がありません。
原理を追求する研究者は絶対に必要です。ただ、私たちのような「先端工学外科」は現場に届けることがゴールなので、現場主義を掲げています。どんなに忙しくても、週に1回は現場を見るという姿勢は忘れずにいたいと思っています。
病院の廊下に立っているだけでもいいし、手術室に立っているだけでもいい。それだけでさまざまなことが見えてきます。現場の医療従事者自身が、「私たちってそんなふうに見えるの?」と気づいていないことが多いのです。そういう事実をデータ化して、見えるようにする。そしてテクノロジーで改善できることを示して、病院を少しずつ変えていく――そのためにできることをやる、というのが私の意気込みです。
DOORS ブレインパッドとして、今のお二人のご意見を受けて、どのように考えていますか。
鵜飼 先日、ラスベガスで開催されたヘルスケアの展示会に行ってきました。驚いたのは、以前は一部のスタートアップだけがやっていたような、AIメディカルスクライブ(医師と患者の会話をリアルタイムで記録し、自動的にテキスト形式に転換すること)が、広く普及しているのです。AIエージェントが病院の予約業務をすべて担うシステムを展開している企業もありました。
【参考】
業界最先端のHIMSS25視察から読み解く、ヘルスケア業界でのAI/データ活用の進化と潮流
印象的だったのは、ひとつのユースケースが生まれたら、それをみんなで盛り上げていこうという空気があることでした。そうした一体感のある動きを見て、広がりが想像以上に早い世界だと感じたのです。私たちもそういう「種」を一緒に探っていけるきっかけを作っていきたい。それが「勢い」につながると思います。
DOORS 今日はみなさま、お忙しい中、貴重なお話をどうもありがとうございました。
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