小売DX最前線:データドリブン価格最適化の実践ガイド

執筆者
公開日
2025.09.12
更新日
2025.09.12

インフレ圧力、DX(デジタルトランスフォーメーション)の加速、サステナビリティへの強い要請など様々な外的要因により、小売業界は今激変の時代を迎えています。従来の勘と経験に頼った戦略では立ち行かなくなった今、値付けの課題にどう対処していくべきか、多角的な視点からデータドリブンな価格最適化を考えていきます。

本記事の内容は、GoogleのNotebookLMを利用して作成した音声版でもお聞きいただけます。
生成AIによって自動生成された音声のため、多少の違和感や表現のゆらぎがありますが、通勤中などの「ながら聞き」にぜひご活用ください。

 

本記事の執筆者
  • 田中 仁
    データサイエンティスト
    田中 仁
    JIN TANAKA
    会社
    株式会社ブレインパッド
    所属
    アナリティクスコンサルティングユニット
    役職
    リードデータサイエンティスト
    大学院修士課程修了後、ブレインパッドにデータサイエンティストとして入社。小売・製造・金融など幅広い業界でマーケティングや効果検証などのデータ分析業務に従事。現在は複数のプロジェクトでプロジェクトマネージャーを務める。

はじめに――値付けを揺さぶる3つのトレンド

現在の小売業は、3つの外的要因から来る値付けの課題にさらされています。

まず第一に、世界規模で進行するインフレ圧力があり、燃料費や輸送費、原材料費などが年々上昇し続けるなかで、そのコスト増をいかに価格に転嫁するかが喫緊の課題となっています。例えば、配送ネットワークの運用コストや倉庫保管コストが膨張する一方で、消費者の価格感度は以前にも増して厳しくなっており、企業は“適正な値付け”のバランスを探る必要に迫られています。

次に、DX(デジタルトランスフォーメーション)シフトの急速な進展があります。ECサイトやネットスーパーの利用率は飛躍的に拡大し、店舗内でも電子棚札やスマートプライシングシステムが広がりつつあります。これにより、従来「手作業」で行っていた値札貼り替えや価格更新の工数は大幅に削減され、「価格を変更するコスト」自体が従来の10 分の1、あるいはそれ以下のレベルにまで低下しているケースも珍しくありません。

さらに、消費者や規制当局からのサステナビリティ要請が強まるなか、食品ロス削減やプラスチック削減に代表される環境負荷低減の取り組みが企業にとって避けて通れないテーマになっています。廃棄物の回収・処理コストは確実に上昇傾向にあり、廃棄ゼロを目指す企業では、それを前提とした「売り切るための価格設計」が経営戦略の中核に据えられるようになりました。

こうした3つの重層的なプレッシャーのもとでは、かつて「勘や経験」に頼っておこなわれていた価格戦略はもはや通用しません。むしろ、顧客行動データ、購買履歴、在庫状況、競合価格情報などを統合的に分析し、アルゴリズムや機械学習モデルを活用してプライシングを行う――こうした「データ駆動型」の価格戦略は急速に進化を遂げつつあります。


データドリブンプライシングの歩みと現在地

POSが普及した 1980年代に小売企業は初めて販売の“データ”を手にしました。2000年代に入り、ECプラットフォームが定着すると、競合価格を秒単位で監視し自社価格に反映するリアルタイムのプライシングが現実になります。2010 年代以降は AI・機械学習と組み合わせることで、サージプライシング、サブスクリプション、入札型オークションなど、値付けの多様性が加速的に増えました。

現在では小売りの形態問わず、データを活用した値付けが発展しています。たとえば、ウォルマートは2024年に電子棚札(ESL)を全米の店舗へ順次導入すると発表し、価格更新オペレーションを数分へ短縮しました※1。中国の阿里巴巴が展開する生鮮スーパー盒馬鮮生(Hema)も、オンラインとオフラインを統合する O2O モデルを実現する基盤として ESL を採用し、1,000 ラベルを 23秒で更新すると報じられています※2。こうした実装事例は「価格のデジタルツイン」が現実になりつつあることを示しています。

※1 引用元:New Tech, Better Outcomes: Digital Shelf Labels Are a Win for Customers and Associates
※2 引用元:Alibaba’s ‘New Retail’ model HEMA in the spotlight

この潮流は一部の先進企業にとどまりません。7Learnings社の2024年の調査によれば、小売企業の63%がすでに予測分析ツールを価格最適化に導入しています※3

※3 引用元:Retail pricing trends in 2025


価格弾力性――価格設計の羅針盤

価格弾力性は、価格変動が需要量に与える影響を示す指標です。値上げを1%行った際に、需要が何%落ちるかを数字で表したものです。弾力性を推定することで、「集客の呼び水として値下げすべき商品」と「多少値上げしても利益を確保すべき商品」を区別し、具体的にいくらに値付けすべきかの計算が可能になります。

推定方法は回帰分析や勾配ブースティングなどが用いられますが、どの手法でも重要なのは“データの多様性”、特に販売価格の変動を持つかどうかです。極端なケースを考えると、発売以来全く価格が変わっていない商品に対して、その商品の売上データのみから「もし値上げしたら売り上げはどの程度変わるか」を推測することは不可能です。

プロモーションによって価格が一時的に下がった期間、競合が値段を動かした期間、季節変動なども含め、価格の変動が多いほど推定精度が上がります。また、商品間や店舗間の価格差を活用するようなモデリングの工夫をすることも可能です。逆に、価格改定の頻度が少ないカテゴリーでは、A/Bテストや実験的値付けの導入と組み合わせた価格最適化の計画が重要になります。

小売り特有の四大論点

価格ミックスをどう描くか

小売店舗には数千、時には数万SKUが並びます。特売で来店客数を稼ぐ“キー・バリュー・アイテム(KVI)”と、高粗利を稼ぐプライベートブランド商品など、それぞれの商品が担う役割は異なります。また、同一商品でも売り出し価格と値引き価格の考え方は異なるべきでしょう。

現実的な価格決定においては、すべての価格を同じ数理モデルで扱うのではなく、役割や目的に応じて異なるモデリングを組み合わせることが肝です。理想的には、カテゴリマネージャーとデータチームが商品の役割をタグ付けし、タグごとに異なる目的を設定することが望ましいです。

長期的顧客価値を測る視点

価格戦略の目的は長期的な顧客価値の最大化に置くべきです。極端な値下げは短期的には売上や客数を押し上げますが、利益率の低下や顧客の期待値下落につながる恐れがあります。反対に、高利益化を狙った値上げは一時的に収益を改善できますが、既存顧客の将来的な離反リスクを高めかねません。つまり、単純な値下げや値上げの繰り返しでは、長期的な成長を支えることはできません。

では長期の指標をそのままKPIに置けば良いかというと、現実には難しい面があります。長期指標は得てして価格変更への反応や観測に時間がかかるうえ、価格だけでなくキャンペーンや競合動向など多様な要因に左右されます。そこで実務上は、来店頻度やカテゴリをまたいだ購買点数といった中期的な代理指標を設定し、短期的な売上・利益とのトレードオフをデータから分析することが有効です。こうした代理指標を橋渡しにすることで、短期・中期の改善を積み重ねながら、最終的に長期的な顧客価値を最大化するための価格最適化のロジックを設計できます。

出し分けと顧客体験の両立

顧客一人ひとりの支払い意欲やニーズは異なるため、画一的な価格設定では本来獲得できるはずの需要や収益を取りこぼしてしまいます。そこで、個別クーポンの発行や曜日・時間帯ごとのセール、さらには店舗ごとに異なる価格設定といった柔軟な調整ができる仕組みを整えることが、利益最大化に直結します。しかし、過度な価格変動や変更の意図が伝わらないままでは、せっかくの施策も顧客の不信感を招きかねません。

そこでまずは、限定的なチャネルや一部の商品でテストを行い、顧客の反応を定量的に計測するプロセスを構築しましょう。取得したデータをフィードバックとして分析精度を高めるサイクルを回すことで、スムーズな顧客体験を損なうことなく施策の適用範囲を段階的に拡大できます。価格の出し分けは、データの強みである「スケーラビリティ」を最大限に活かすための重要観点です。データとアルゴリズムを活用することで、人手では到底実現できない、数百万人の顧客や数千の商品へと一気に適用できるきめ細やかな価格体験を実現できます。

競合価格への対応

競合が多いエリアでは、同一商品でも数十円の価格差がシェアを左右します。同一商品でありながら、自社の価格が周囲と比べて低すぎれば本来獲得できる収益を取りこぼし、高すぎれば顧客の流出を招きます。こうした二つのリスクを避けつつ、適切な価格帯を維持することが、シェア拡大と収益最大化の両立につながります。

競合の動きも踏まえて価格設定を検討する際には、近隣店舗や主要ECサイトの値付け状況を把握することが不可欠です。まずは自社で特に利益に与える影響が大きい重要アイテムにフォーカスするのでも良いでしょう。対象商品の競合価格データをウェブスクレイピングやAPI経由で定期的に収集し、分析に活用できる状態にすることから始める必要があります。

成功を分ける三つの鍵

説明性と信頼性を担保する

価格は売上だけでなくブランドイメージにも直結するため、ブラックボックスは許容されません。モデルがどんな変数を使い、どの程度精度があり、どのような理由でその価格を推奨したのか——これらを可視化したダッシュボードが現場の納得感を生みます。説明変数の寄与度や感度分析をインタラクティブに確認できるUIを用意することで、「AI が提案した価格」を「現場が選択した価格」へ変換できます。

継続的改善サイクルを回す

価格を設定した後こそが本番です。カテゴリ別・店舗別に「予測vs実績」を毎月レビューし、予測誤差の傾向をモデルへフィードバックします。ズレの要因を切り分けるために、A/Bテストで得られた顧客反応やプロモーション施策の効果も合わせて分析し、モデルにフィードバックしましょう。売れ行きが停滞している商品には短期的なセールやクーポンを挟み、追加データを取得。それらの結果をまとめた「改善レポート」を全社へ共有することで、モデルを組織知として定着させます。

組織的アラインメントを組み込む

価格は商品仕入れ、プロモ企画、店舗運営、財務など複数部門に深く関係します。成功事例の多くは“プライシングCoE(Center of Excellence)”を設置し、データサイエンティストと現場責任者がチームを形成しています。部門間の認知ギャップを減らすことが最後の一押しになります。

プライシングを加速する最新技術

最後に、最新技術のプライシングへの応用可能性について2つ紹介します。

価格実験の有用性

AI時代の価格戦略を象徴する事例として、求人プラットフォームZipRecruiterが行った価格実験があります。新規顧客を対象に、月額料金を19〜399ドルの範囲でランダムに割りあて、需要曲線を推定しました。さらに、顧客属性による需要の異質性を機械学習モデルを用いて推定し、パーソナライズした最適価格を算出します。ベイズ決定理論に基づく解析によって、パーソナライズした価格設定が現行価格よりも利益を86%向上させるとの結果を示しました※4

※4 引用元:Personalized Pricing and Consumer Welfare

小売業界では、同一商品での価格のバリエーションが不足しがちという技術的ハードルが存在します。ZipRecruiterのような大規模な価格実験を行うことは難しいかもしれませんが、多腕バンディットのような探索(exploration)と活用(exploitation)を組み合わせたアルゴリズム的アプローチを取り入れることで、動的に価格を最適化することが可能になります。

生成AIによる支払意思額の調査

もうひとつ、これからの時代を先取りするような研究が、ハーバード・ビジネス・スクールらの研究チームによって実施されています。研究チームは、「ペルソナ」と呼ばれる仮想的な属性や嗜好を与えることで、まるで特定の消費者が回答しているかのようなアンケート結果を生成するという手法を試みました。この実験では、生成された仮想アンケートの結果から消費者の「支払意思額(WTP)」を推定し、それを実際の人間調査の結果と比較しました。その結果、モデルが生み出した推定値は、人間の回答から得られる水準と大きく乖離することなく、おおむね近似する傾向が確認されました。これは、AIが単なる文章生成の枠を超えて、消費者の選好や意思決定を一定程度再現できる可能性を示唆しています※5

※5 引用元:Using LLMs for Market Research

より最新のLLMを用いた類似研究も含め、生成AIに消費者を模倣させる研究では限界も指摘されています。AIが導き出す数値はあくまで言語データに基づいた「模倣」であり、新しい機能や未知の商品属性に対する評価、またセグメントごとの微妙な差異など、上手に表現できないケースも報告されています。しかし膨大な消費者調査やリスクがある価格実験を行う前段階のスクリーニングとして、生成AIを活用した価格変更のシナリオ分析を短時間で試行できる可能性はあるでしょう。

おわりに――値付けを“コストセンター”から“成長エンジン”へ

これまで価格設定は売上を守るための守りの策として扱われることがほとんどでしたが、今後は積極的に成長をドライブするエンジンとして再定義する必要があります。まず価格弾力性を軸に据えた分析設計を行い、その成果をわかりやすく伝えるダッシュボードを構築することが出発点です。加えて、データチームと現場が一体となってPDCAサイクルを高速で回す体制を整えられれば、価格は利益を守るだけでなく、新たな需要を創出する“攻めの武器”として機能し始めます。読者の皆さまが本記事を手がかりに、自社の値付けを次の段階へ進め、データを武器に持続的な成長を実現されることを心より願っています。


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2004年の創業以来、「データ活用の促進を通じて持続可能な未来をつくる」をミッションに掲げ、データの可能性をまっすぐに信じてきたブレインパッドは、データ活用を核としたDX実践経験により、あらゆる社会課題や業界、企業の課題解決に貢献してきました。 そのため、「DXの核心はデータ活用」にあり、日々蓄積されるデータをうまく活用し、データドリブン経営に舵を切ることであると私達は考えています。

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