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「言葉」は揮発する。会議の発言も、コーチの指示も、先生のアドバイスも。テキストに残さない限り、話した直後には多くの情報が消えていき、数分後・数時間後・翌日にはほぼ消えている。しかし、それを「記録」と「分析」のプロセスにのせれば話は変わる。ビジネスの現場でデータ活用を推進するブレインパッドの上席執行役員 CSO (Chief Strategy Officer)・鵜飼武志は、この考え方をプライベートの習い事に持ち込んだ。舞台は社交ダンスのレッスン。その結果レッスン効率が大きく向上し、直近ではJDSF(日本ダンススポーツ連盟)の最上位級であるA級戦の大会の一つで悲願の優勝も経験した。
本記事では「声をデータに、データを力に」変えたノウハウを紹介する。
私が社交ダンスを始めたのは33歳のとき。それから海外赴任やコロナの影響などもあり、競技に出始めたのは約4年前の36歳の頃からだ。最初はアニメ・漫画の影響で、試合などに出てみたいという気持ちからスタートした。その中で素敵な先生や仲間との出会いや、試合に向けて頑張ることがとても楽しく、どんどんはまっていった。最初は純粋な興味から始まったダンスが、やがて競技の世界へと発展していく。
競技に出始めた頃は、自分と同じようなダンス歴の人と競うことも多かった一方、級が上がるにつれて10代から・学生の頃から始めている人に圧倒される機会も多くなった。より上を目指すためには、「いかに効率よく上達するか」を真剣に考えるしかなかった。その問いが、AI活用への入り口になった。
上席執行役員としての仕事と、プライベートでは5歳の娘の父親としての顔も持つ私にとって、レッスンの時間は限られている。週1のパートナーとの練習の他に、週1回、50分のレッスンで先生からもらうフィードバックを、いかに次の練習に活かすか。それが一番の課題だった。
社交ダンスのレッスンでは、先生は踊りながら、あるいは私の身体を実際に動かしながら、ひっきりなしにフィードバックをくれる。「この角度で腕を出すと相手に伝わりやすい」「体幹が崩れている瞬間がある」「視線がやや下に向きすぎている」──こうした指摘は、その瞬間には深く腑に落ちる。
問題は翌週だ。レッスンの直後はとても納得しているが、次のレッスンまでにはほとんどリセットされてしまうこともある。週1回のレッスンで受ける膨大なフィードバックを、頭の中だけで保持するのには限界がある。
ではレッスンの様子を動画に録っておけばいいのか。過去にこの方法の限界も経験済みだ。50分のレッスンを動画に記録しても、次のレッスン前にそれを見返す時間を確保するのは容易ではない。「50分の動画を毎回見返すのは大変」というシンプルな問題がある。何度も見返せない記録は、ないのと変わらない。
さらにやっかいなのは、同じ課題を繰り返し指摘されているのかどうか、自分ではわからないという点だ。「それは先月も言われたことか、それとも今日初めて気づいた課題なのか」という視点がなければ、改善の優先順位をつけることができない。記録がなければ、すべての指摘が「今日のこと」に見えてしまう。
では、この問題をAIはどう解決するのか。
私が採用したのは、ウェアラブルAIボイスレコーダーだ。マグネット式のピン型デバイスで、クリップとしてもネックレスとしても装着できる。多言語対応の自動文字起こし機能とAIサマリー生成機能を備えており、録音した音声を自動でテキストと要約に変換してくれる。
使い方はシンプルだ。50分のレッスン中、先生にこのデバイスを着けてもらい、会話をすべて録音する。レッスン後、音声データをAIに処理させると、文字起こしと要約が自動生成される。私はそれを「1枚の画像」としてまとめさせることで、視覚的に振り返れる形に整えている。
この取り組みを始めたのは2025年12月。以降、30回以上のレッスン音声を記録・テキスト化してきた。積み上がったデータは、単なる「記録」を超えて、自分専用の学習知識のためのデータベースになっていく。
「後から見返すことができる」という仕組みが生まれたことで、先生の言葉は揮発する記憶ではなく、蓄積できる資産に変わった。
音声→テキスト→サマリーの流れの最大の強みは、見返すのにかかる時間が劇的に短縮されることだ。50分の動画を前から通してみる代わりに、AIが生成した要約を眺めることで、その日の指摘のポイントを素早く思い出せる。PDCAを回すうえで、このスピードは決定的な差を生む。
複数回のレッスン記録を蓄積した後、AIに「私向けのドリルを作ってください」と依頼すると、種目別(ワルツ、タンゴなど)に整理された改善ポイントのリストが生成される。このドリル作成こそ、AIを日常的に活用している自分のプロンプト(※AIに対する指示)作成の腕の見せ所だ。どんな形式で、どんな粒度でドリルを出力させるか──指示の巧みさが、アウトプットの質を直接左右する。
ドリルのアウトプット例(ワルツ)
実際に、アウトプット例を確認すると、「ずっと言われているな、とか、これは最近言われたことだな」と気づくことができる。日付つきの時系列情報があることで、重点課題が一目瞭然になる。さらに試合直前の移動中や会場で確認するチェックリストも自動で生成される。
さらに取り組んでいるのが、GoogleのGemini Gem機能(カスタムAIエージェント機能)を使った「自分専用コーチ」の構築だ。
30回以上のレッスン要約、過去の試合結果、今後の目標などをGemの知識ベースとして読み込ませると、AIが「先月と比べてこの課題の改善はどうですか?」「次の試合に向けて今週練習すべきことは何ですか?」といった形で主体的に問いかけてくれる。
これは単に「情報を検索して返す」システムではなく、自分の学習履歴を理解した上で積極的に関わってくるコーチの役割だ。データを蓄積するだけでなく、そのデータを使って対話できる環境を整えた点に、今回のAI活用の深度が見える。
もう一つ、この実践を語る上で欠かせないのが、レッスンの場となっているナカザワダンススタジオの存在だ。
ナカザワダンススタジオ(東京・高田馬場) nakazawadance.com
東京都新宿区高田馬場4-8-4 ORAGAビル5階。JR山手線・東西線 高田馬場駅徒歩1分。代表の中沢康行先生と武田満紀先生は、イギリスへのダンス留学経験を持ち、数々の競技会での入賞経験を持つプロの元競技ダンサー。「和やかで居心地の良い雰囲気のなか、それぞれのペースで楽しくレッスン」という方針で、初心者から上級者まで幅広く指導している。
「顔に似合わず小心者で、自称面倒見がいい人です」という自己紹介がスタジオのサイトに掲載されているほど、気さくで温かみのある指導で生徒に接する。こうした信頼関係があるからこそ、「先生にデバイスを着けてもらう」という少々変わったお願いも自然に受け入れてもらえたのかもしれない。
●ナカザワダンススタジオ 中沢 康行先生よりコメントをいただきました
少し前に生徒さんからの要望でレッスン中にAI機能の搭載されたものを付けて欲しいと言われ、何が何だかわからないまま装着し普段通りにレッスンをしました。レッスンが終わって数分でAIが私の発言などを解析して文章、図解にしていました。そのあまりの速さに驚いたことを覚えています。私がダンスを始めた数十年前は、もちろんそのようなものは無く必死で頭で記憶して練習に取り組んでいた時代でした。
現在AIが活躍しているのは知っていましたが、社交ダンスにもこのような形で役に立つとはビックリです!これなら自分たちの足りない所などを忘れることなく身についていくのではないかと思い、これから社交ダンス愛好家にも普及していけば良いと思いました。
JDSFの最上位級であるA級に昇級した3年前は、レベルの高さを厳しいと感じたこともあった。しかし、こうした取り組みを積み重ねた結果、自分たちのレッスン効率は飛躍的に向上し、ついに一つの大会で悲願の優勝を経験するまでに至った。
「このドリルのおかげで自信を持ってフロアに立てた」と断定できた。
今回の実践が示唆するのは、「音声をデータとして扱う」アプローチがあらゆるスポーツや習い事に応用できるということだ。コーチが選手にフィードバックをする場面、試合を振り返るミーティング、習い事の先生が生徒にアドバイスをする場面──いずれも「発話」という形で専門的な知識が伝達されており、それをリアルタイムに記録・構造化できれば、指導効率は格段に上がる。
サッカーなどの球技、それ以外のスポーツ、音楽、語学──身体的・認知的なスキルを習得するあらゆる場面で、「先生の言葉をデータに変える」仕組みが成立するはずだ。スポーツ指導を始めとした様々な指導の現場でも、この発想が広がっていく可能性は十分にある。
「言葉はデータになる。そしてそのデータを力に変える手段が存在する」。これが今回、私自身が筆頭実践者として証明したことだ。
AIボイスレコーダーを先生に着けてもらい、50分のレッスンをテキスト化し、復習用の画像やデータを作り、積み上げたデータから個人コーチを育てる。そのシンプルな仕組みが、練習効率を大きく向上させて、悲願の優勝という結実をもたらした。
ビジネスでは当然のように行われているデータの記録・蓄積・分析が、スポーツや習い事の世界でも同じように機能する。「発話」という形で毎回失われてきた指導の言葉を、資産として残すことができる時代がすでに始まっている。
そしてこれは、プライベートに閉じた話ではない。私自身がブレインパッドで2026年に立ち上げた新組織、「データタレントエクスペリエンスユニット」では、全ての会議の録音とAIによる音声解析を義務付けている。ビジネスにおいても身近な声から貴重なデータとして活用することを、組織のメンバーにも率先して体現してもらうためだ。声をデータに変える実践は、ダンスフロアから会議室へ、そして組織文化へと広がっていく。
参考資料
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